2011 A列車で行こう

はてなインターネット文学賞「記憶に残っている、あの日」

 

あれはちょうど10年前のこと。私は何もかもが幻のような、ニューヨークという街に住んでいた。アメリカ生まれでもないし、語学留学でもない。身よりも何もない中で仕事を探して渡米した当時の私は恐ろしいくらいに向こう見ずだった。でも、28歳にして自分で掴んだニューヨークの暮らしはキラキラ輝いていたし、私は日々を噛みしめるようにエンジョイしていた。

日曜日の夕方だったかな、私は42丁目の駅のホームで、アップタウン行きの地下鉄Aトレインを待っていた。Aトレインは私の大好きな地下鉄で、マンハッタン北部にアパートを借りていた私がダウンタウンの職場に通うための毎日の足であり、日常で感じる1番のエンターテイメントだった。Aトレインは特急なので、59丁目から125丁目のハーレムまでノンストップでかっ飛ばす。陽気なアフリカ系アメリカンの乗客が多くって、車内で突然歌や踊りの「ショータイム」が始まることだって日常茶飯事だった。余談だけれど、偶然にも高校時代に吹奏楽部だった私がアルトサックスで初めて演奏した曲がまさにジャズのスタンダードナンバー「A列車で行こう」だった。当時の私は、まさか10年後に自分が毎日本物のA列車で通勤することになるだなんて夢にも思っていなかったから人生って本当に不思議。あの名曲は「特急でかっ飛ばしてハーレムに行ってジャズを聴こうよ!」というテーマの陽気な曲で、作曲者のデューク・エリントンもかつてAトレイン沿線に住んでいたらしい。そんなことも実は住んでから知ったり。

って、話がだいぶ逸れたけど、渡米してから1ヶ月が経っていたその日、私は、駅のホームでAトレインを待っていた。すると突然、背の高い白人のお兄さんに声をかけられた。ニューヨーカーは本当にフレンドリー。気さくに誰にでも声をかけて、他愛のないおしゃべりが始まる。

「Aトレインは休日には各駅停車になることが多いけど、今日は特急のままだから早く帰れるよね、僕たちラッキーだね。」そんなことを言われたように記憶してる。私はまだまだ心がシャイな日本人、ニューヨーカーにはなりきれなくて、「あ、そうですね。」と一言だけ返事をし、そのまま車内に乗り込んだ。その人とはそれっきりで、私は席に座って音楽を聴き、その人は、同じ車両でドアにもたれて分厚いカバーの本を読んでいた。

私は心の中で(なんだかかっこいい人だな。)って思っていた。もし、降車駅が同じだったら、声をかけてみようかな、とシャイな私が思ったほどだ。125 丁目も過ぎ、145丁目も過ぎ、彼は降りない、私も降りない。いよいよ、私の最寄駅、181丁目に着いた時、なんと彼も降りたのだ!私はドキドキしながら、よし声をかけるぞと気負いながら彼の方を見た。その瞬間、「一緒の駅だったんだね!」と彼が嬉しそうに言った。私はそこから一気に緊張が解け、私たちは意気投合。どこに住んでるの?仕事は何をしてるの?なんでニューヨークにきたの?と質問合戦が始まり、終わらない質問合戦を私たちは駅前のスタバに持ち込んだ。スタバで2時間。終わらなくてそのままバーで2時間!それが、今でも忘れられないジェイコブとの出会いだった。

蓋を開けてみれば、ジェイコブと私は本当にご近所さんだった。2軒隣のアパートでスープの冷めない距離というやつ。そういうわけで、ジェイコブはその日から私のニューヨーク生活の相棒になった。頼りになる男で、何か困ったことがあるとなんでも助けてくれたし、ご飯も作って食べさせてくれた。右も左もわからなかった当時の私のお世話をしてくれて、ニューヨークのイロハを教えてくれたのも彼だったので、たまに自分がガールフレンドなのか?ペットなのか?とわからなくなって不安になったりもした。私が映画館で「寒い!」といえば、家まで上着を取りに行ってくれるような彼なのだ。不意にいなくなったと思ったら、戻ってきて「これで帰りは寒くないね。」というとんでもないキザぶりに、「欧米人ってレベルが違う!」と驚愕したが、私が出会った中でそれほどのキザな男は、後にも先にもジェイコブだけだった。

 

私は最終的に、4年間ニューヨークに住んで、その後東京に帰国した。その頃にはジェイコブとは別れてしまっていた。私はその前にも後にもお付き合いした男性はいるけれど、ジェイコブには彼氏彼女の関係だけでは言い表せない何かがあった。異性への愛だけでは語りきれない何かがあった。私はまるで、初めて見たものを親と認識するひな鳥のように、ジェイコブを親鳥と思って生きていたのかもしれない。あの幻のような、少し遅い青春時代のようなニューヨーク生活を思い出すときにはいつでも、私の親鳥がそこにいる。

 

あれから10年経って38になった私は、今月結婚した。相手は全く別の人、勤務先で出会ったシンガポールの人だ。私はジェイコブとは今でも友達で、久々に連絡をしたら私の幸せを心の底から喜んでくれた。昔から旅が好きなジェイコブは、今もアメリカを放浪してジプシーのようなノマドのような生活をしながら、彼らしく人生を謳歌しているようだ。二人が結ばれることはなかったけれど、あの日のAトレインが導いた出会いはずっと、私の心の大切なページに克明に刻まれていて、たまーに、本当にたまーに、心の中で映画のように再生ボタンを押して、ニューヨークの親鳥とひな鳥が出会った日のことを思い返して懐かしんだりする。ニューヨークの地下鉄にはドラマがあるなあ、なんて他人事のように思いながら。

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